「萌え」と「燃え」の話

ヒロイン研究家として、いつかはせねばならぬと思うのです。「萌え」の話を。漫画(?)オタクが生み出した数々の専門用語の中でも、この「萌え」という言葉は最もひどい誤解を受けており、口にしただけで弾圧されるような風潮ができているからです。俺様は「萌え」の正当性を断固主張したいと思います。だって、可愛い女の子より可愛くない女の子の方が良いなんてのはどう考えてもおかしいでしょう。

そもそも「萌え」とは、「燃え」と同じものです。漫画とは「面白い」ことを最優先価値基準としますが、それを目指すのはとても難しいことです。なぜなら、どんなに面白いものでも、何度も同じものを見せられると飽きるからです。このため「面白いパターン」というものは存在しません。パターンができちゃった時点でもう面白くないのです。漫画を描くことは、常に新しい面白さを模索する茨の道でした。しかし長い漫画の歴史は、もう一つの価値基準、「カッコイイ」を生み出しました。このとき発生した言葉が「燃え」です。「カッコイイ」シーン、「燃え」る展開は、パターン化しても変わらず魅力的でした。多くのヒーローがそれを証明しています。ここで注意すべきは、そのとき漫画は「面白い」を放棄したわけではないということです。「カッコイイ」だけを目指した漫画も多くあったのでしょうが、今も語り継がれる作品は、「カッコイイ」という枠の中でどれだけ新たな「面白い」を描くことができるか、という次のステップに挑戦したのです。

こうして「カッコイイ」ヒーローの方法論が確立されていく一方で、それをさらに引き立てるための「かわいい」ヒロインも模索されていきました。現在美少女が「かわいい」という形容詞で語られるのはこのためです。ヒーローをカッコよくするためのヒロインは、「カッコイイ」意味がなかった。あくまで戦うことで得られる報酬として描かれる美少女は、所有欲を刺激する、「守ってやる」存在でなければならなかったわけです。現在になってようやく「かわいい」の方法論は確立されつつあり、その結果使われ始めた言葉が「萌え」というわけです。「カッコイイ」ヒーローの登場によって「燃え」た少年は、「かわいい」ヒロインの登場によって、「コイツのためならオレは戦う!」とやはり「燃え」たわけです。これが「萌え」。つまり「萌え」は「燃え」の一部分なのですね。

それではなぜ「萌え」が誤解されているのか。その原因として、「萌え」に走った作品の多くは三つの欠点を持ちます。第一に作品自体が面白くない。第二にヒーローがカッコよくない。第三にヒロインがかわいくない。特にアダルトゲームおよびビジュアルノベルは毎週かなりの数が発売されますが、そのほとんどがこの三つを全て満たしています。

第一の面白くないというのはすぐわかると思います。何も考えずにかわいいヒロインをトレースすれば、陳腐になって当たり前。面白いわけがありません。第二のカッコよくないという話に関しては、前に述べたことを思い出してください。かわいいヒロインを出すことによって、よりヒーローに感情移入して戦うことができるわけです。少なくとも少年マンガではそうです。そのヒーローがカッコよくなくてどうしますか。ヒロインもかわいくなりようがないじゃないですか。そういう想像をして頂けると、最後のヒロインがかわいくないというのも少しは理解しやすくなるんじゃないかと。かわいいかどうかなんてキャラ単独で決められるもんじゃないんです。最近表舞台に出てきた美少女フィギュアにしたって、人形の演技から受け手が情景やストーリーを想像することによって初めてできあがるもんです。そういった「動き」のない美少女は何の魅力も持ちません。「とりあえず眼鏡つけときゃいいだろう」とかいう姿勢でデザインされちゃ困るんですよ。とりあえず巨大ロボ出しても、敵が人間サイズで踏みつぶして一件落着なんて話で燃えますか、って話です。

なんだか結局わかりにくい話になってしまったかもしれませんが、要するに「かわいい」美少女に「萌え」るのは、そんなに変な話じゃないんだってことが言いたいわけです。ただそんなに簡単に「かわいい」が手に入ると思うなと。とはいえ「かわいい」を連発するだけではただのオタクですから、そのうちちゃんと共有できる「かわいい」の方法論を展開できたらいいなあ、と考えております。
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by kabehouse | 2004-09-14 16:49 | ヒロイン研究
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